アイドルというよりクイアな映画――本広克行監督『幕が上がる』(劇場版)
ももいろクローバーZの5人が主演した『幕が上がる』。平田オリザ原作小説を、本広克行監督が映像化。かなり原作には忠実。やはり演劇は視覚表現であるので、どうしても映像で見たい! という気持ちは、原作を読んだものなら誰しもが感じるのではなかろうか。(戯曲は文字表現だが)
原作に忠実、とは書いてみたものの、いくつかの異同はある。
まず、演劇部から男性部員が抹消されていること。原作ではちょっとしたロマンスも、サイドストーリーとまではいかず、ほんの香辛料程度にまぶされている。が、映画ではカット。2時間の尺に収めるために「分かりやすくした」のだろう。
それに、転校生・中西さんとの関係。中西さんが演劇から逃げてきた人、になっている。自分で演劇向き合うようになる、という喪失した自信を取り戻す話に映画ではなっている。原作は、むしろ演劇を極めるために転校してきた。東京で本格的に演劇をやるという野望のために、あえて転校してきた(そして転校先では演劇をやるつもりは、少なくとも最初はなかった)。中西さんが、さおりをディープな演劇界へと導く。役割が正反対だ。この改変も「分かりやすくした」ためだろう。
では一体、なにが「分かりやすい」のだろうか?
ももクロちゃんたち5人が、仲良くする映画を撮りたいのだし、見るほうも彼女たちの仲良い様子を見たい。演劇から逃げてきた転校生が、演劇大好きな部員と接することで、やっぱり演劇が好きな自分に気がつく、きゃっきゃあはは、というのはまさに「仲良い映画」。知らない世界への扉を開く中西さん(原作)の役割は、この「仲良い映画」には、ある意味で不要なのだ。
とすると、やはり男性部員が抹消されてしまったのも、ももクロちゃんたちがきゃっきゃうふふするのに必然だったのだろう。
そして、ファンサービス以上ともとれるレズビアニズムを想起させるシーンがいくつか。合宿中に同じベッドで寝る。二人で好きだと言い合う。なんだこれは、ああそうか、『櫻の園』か。吉田秋生の原作漫画でもいいし、のちに映画化されたものでもいいし。演劇部映画(あるいは漫画)といえば、吉田秋生『櫻の園』があったじゃないか、といまさらながらに思い出すのだった。
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アイドル映画というより、どこかクイアな映画に仕上がっている。
ちなみにネットで感想をあさっていると「これはアイドル映画ではない」という文句が目に付いた。もちろん、アイドル映画である。否定されているアイドル映画というのは、おそらく演技もろくすっぽできないアイドルが、宣伝のためにでる映画のこと。という意味ではアイドル映画ではない。でも、こんな古典的な意味でのアイドル映画なんて、いま、ある? ももクロちゃんたちの演技は、十分に合格点。主役をはれる水準に達していた。これも平田オリザの数十時間にも及ぶワークショップの成果だろう。演技のできるアイドルが出ているから、やっぱりアイドル映画でいいんではないか。
ああでも、ここまで書いて思ったけれど、アイドルって実はどこかクイアなものなのかもしれない。だからアイドル映画ではなくクイアだ、というのではなく、アイドル映画だからどこかクイアだ、というべきなのかもしれない。