ゴミの生活(四代目)

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彼女たちは演劇をしている――平田オリザ『幕が上がる』(講談社)

幕が上がる (講談社文庫)

幕が上がる (講談社文庫)


いつも予選(地区大会)どまり、弱小の高校演劇部。全国大会を目指す。きっかけとなったのは、新任の美術教師・吉岡。彼女は東京で小劇場演劇をやっていて「女王」と呼ばれていた。彼女の指導のもと、演劇部員たちは練習に励み、それまでとは部活の雰囲気が変わってくる。


吉岡先生がいうように「演技がものすごくうまくなる、ということはない」のだ。けれど、配置を少し変える、順番を少しいじる、それだけで、ぐっと断然、よくなる。つまり勝負の決め手は(少なくとも、高校演劇では)演出だ。部員である彼女たちも、変化を敏感に感じ取る。そして演劇が(ますます)楽しくなる。


語り手は、さおり。吉岡先生にその能力を認められ、作・演出を務める。「作」といっても、全く新しい芝居を書き下ろすのでなく、有名な物語の枠を使いつつ、部員たちが作るエチュードを挟むという構成に。そのほうが部員たちと役との間を狭め、より「大会に勝つ」可能性が増すのだ(吉岡先生分析)。


演劇の強豪校からの転校生。彼女と打ち解けるまで。初めての夏合宿。東京で触れた小劇場演劇。物語はテンポよく進んでいく。時間の進みが速いのは、平田オリザが劇作家だからか。ト書きとまではいかないが、セリフ以外の個所はシンプルに。


この物語は「演劇についての物語」である。演劇とは舞台の上で役者たちが織り成す一瞬間の出来事である、と思うかもしれない。しかし、もっと幅がある。深みもある。役者たちの視点から言えば、「演劇とは何かを考えること」もまた演劇に含まれる。この点で、演劇は極めて再帰的だ。「どうしたらよい演技ができるのだろう?」と考え続けているのだから。


主人公のさおりが一番「演劇をしている」瞬間は、自分の書いた脚本に加えた修正の意味を理解したときだ。それは舞台の上で、いま目の前に進行中の演劇を見て、自分が込めた意味を理解する。自分ではないほかの誰かを演じることで、自分を見つめなおす。他人を考えることは自分を考えること。演劇が前提とする他人(登場人物)と自分(役者)の解離は、しかし、必ず埋められる。その過程、プロセスを含めた全体が演劇なのだ。


彼女たちは演劇をしている。


最近の演劇の傾向(静か系、口語系)や、高校演劇必勝法、それに一般的な読者ならピンと来ないであろう高校演劇大会の舞台裏も書いてあり、スポ根的な楽しみ方もできる。演劇をほとんど見ない人も楽しめる。もちろん、演劇が好きならいっそう楽しめる。


ももクロちゃんの映画は次項。