ゴミの生活(四代目)

最近はアマプラをdigってます

オタクの浸透と拡散――原田曜平『新・オタク経済』(朝日新書)

新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動 (朝日新書)

新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動 (朝日新書)

マイルドヤンキーの名付け親、朝の情報番組コメンテーターもやっちゃう原田曜平の最近のオタク生態調査報告。

オタクに何が起こっているのか? 「浸透と拡散」である。

一人の人間がオタク活動(オタ活)に使う金額は減っている。しかし、オタク産業の市場規模は増えている。つまり、オタクがライトになって広がっているのだ。その結果、少し前に考えられていたような典型的なオタク像(残存ガチオタ、と本書では呼ばれる)とは異なるニューオタクが出現している。原田は彼ら彼女らを「リア充オタク」と呼ぶ。社交性あり、非オタクの友達もいて、恋愛をし恋人もいる。まるでリア充。いや、正真正銘リア充なオタク。リア充はオタクの対義語として考えられていたが、あえてそれをくっつけてしまう。

典型的なオタクの像として思い浮かべるのは、世代区分でいうと「第一世代」で、1970〜1980年代のアニメブームのころ思春期を過ごした現在50代。博識で教養主義的、その裏返しとしてのエリート意識。当時は情報インフラが貧弱で、主要な情報源は雑誌だったし、記録媒体もほとんどないので、オタクを極めるには生活の大半を捧げなければならなかった。内輪のコミュニケーションをし、外の目を意識することはない。オタク活動への参入障壁は、自然、高くなる。オタクはアイデンティティであり、族(トライブ)だった。「犬が犬であることをやめられないように、オタクはオタクを止められない」とは誰の言葉だったか、でもアイデンティティとしてのオタクを的確に指している。

対して「第四世代」、現在の10〜20代。モノへの執着は薄い。ネットという情報インフラが整備されているので、膨大な情報を覚える必要などない。ネットを漁ればアニメなら過去の名作から話題の最新作まで見ることができる。旧世代には「にわか」と批判されるかもしれないが、一つのアニメが好きなだけでも「アニオタ」を自称することも。意味合いはファンに近い。スクールカーストの最下層ではなく、というかもはや族ではなく系。着脱可能なキャラだ。だから、かつてであれば信じられないような事態が起こっている。それはコミュニケーションを円滑にするためにオタクというキャラを利用するものがいることだ。(『アメトーーク』の「○○芸人」シリーズを見れば、何かについて詳しいことがコミュニケーションを促進していることが良く分かる。)だからリア充(イケメン、恋人あり、スポーツ得意、コミュニケーション能力が高い)とオタクは両立しうるのだ。アイデンティティではなく、一属性。

加えてSNS。人は自分と他者の振る舞いに敏感になった。それはオタクも例外ではない。

なんとなく肌感覚で理解していたことを、それなりに整理してくれている本。とってつけたように「求められている商品とサービス」なんてあるが、そこは「ふーん」って感じだ。「若者は金を使わないが、そんなことはない! 使うところには使うから、そこを発見しよう!」というのが、マイルドヤンキー論と新オタク論に共通している部分。まあ、広告代理店の人間だから、そうでも言わなきゃしょうがないのか。

マイルドヤンキー論の時にも感じたが、デフレカルチャーなんだろうな。安いコストで楽しむには、コミュニケーションを前面に出すほかない。それに20〜30年前に比べて消費対象(コンテンツ)の数が、とにかく増えた。消費者としては自分のニーズ(欲望)にあったものを、かなり自由に選べるようになっている。いい時代になったもんだ、としみじみ。オタクにもスペクトラム(グラデーション)があり、かつて迫られたようなオタクか否かの二者択一(トレードオフ)などもはや、ない。ガチだろうとエセだろうとオタクやるには、今ほどよい時代ないんじゃないかな。