ゴミの生活(四代目)

最近はアマプラをdigってます

過去も現在も未来も、生きているのは普通の人間――コニー・ウィリス『ブラックアウト』『オール・クリア』(ハヤカワSFシリーズ)


ようやく読んだぞ!

分厚すぎるという版元の事情で2分冊になったが、もし長くなければ1冊で出版されていた本。ということで、読む順番は『ブラックアウト』『オール・クリア』でなければならない。意味が分からない。にも関わらず、私が読んだのは『オール・クリア』が先だった(諸事情により)。そしてこのほどようやく『ブラックアウト』を読み終えた。文庫本にして2000ページだ。

コニー・ウィリスのオックスフォード史学部シリーズ。未来の史学部生たちは、過去にタイムトラベルをし、当時の様子を探る実地調査をする。今回は3人学生、メロピー、ポリー、マイクが第二次世界大戦のイギリスへ。テーマは疎開児童、ロンドン空爆ダンケルク撤退。このタイムトラベルは、歴史の重要な点=分岐点には行くことができない。タイムトラベラーは歴史に影響を与えられないのだ。学生たちは、ともすれば歴史に埋もれてしまう市井の人たちの生活を知ろうとする。

ところが。降下点(タイムトンネルの出口)に降り立ってみると、どうも様子が違う。狙っていたポイントとずれている。あるいは、オックスフォードに帰ろうと降下点を探してみても、見つからない。どうやら帰る道を閉ざされ、第二次世界大戦に閉じ込められてしまった、ということに3人は気がつく。同時代にいる他の学生の存在を思い出し、そもそもは別々の場所・時にいた3人が、なんとか再会するまでが『ブラックアウト』。3人が戦禍の中、降下点が閉じてしまった理由を考え、オックスフォードへ帰還する方法を探るのが『オール・クリア』。

未来の人間だからといって、過去の人間より優れているわけではない。未来の技術を使い、爆撃のあった場所・日付やV1・V2ロケットの着弾点を暗記していても、命の危険にさらされることには変わりはない。結局のところウィリスは、人間を描きたいのだ。未来だろうと過去だろうと、そこに必死に生きるごく普通の人間たちを描きたいのだ。どうしてこんな不安定でリスキーなタイムトラベルを平然と使っていたのかという大きな謎を読者は抱えながら読み進めるが、その理由が明らかにされたときに、ウィリスの書きたいものに気づくのだ。

(これまたゆえあって)せかせか読んでしまったのだが、じっくりちびちび読んでいたいタイプの小説である。いつか暇になったときに、再読したいもんだ。