ゴミの生活(四代目)

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個別性から普遍性を志向するのが文学――柳美里『ゴールドラッシュ』(新潮文庫)

ゴールドラッシュ (新潮文庫)

ゴールドラッシュ (新潮文庫)


「14歳の少年が犯す殺人」ということぐらいしか知らなかった。世の中ではちょうど神戸の連続殺傷事件で少年Aが逮捕されたかしたときで、少年犯罪を文学が扱った、というイメージを持っていたのだが、実はよく調べてみると「そんなことはない」のだ。


少年Aがその後の展開を見ても、かなり気合の入ったサイコパスである一方、『ゴールドラッシュ』の少年(名前は出てくるようで出てこない、字の文では「少年」と一貫して呼ばれる)は、いわば「札付きの悪」。横浜の黄金町という(今は壊滅したが)「ちょんの間」がある街でパチンコ屋を営む父を持ち、金はある。金はあるが、面倒は見てもらっておらず、親の金で悪さする。けれど、完全に悪の道を歩むわけでもなく、ふらふらと。障害をもつ兄、売春(援助交際)をする姉が配置され、少年はぐらぐらの家(族)の中で、自分の安らげる場所を探そう・見つけようとする。結局、少年は父親を殺し、殺人が露見しないように工作をするも、所詮は14歳の子供の考えることで、どうにもうまく行かない。まあ、ここに出てくる少年は、徹底的に人間だ。少年Aのような得体の知れなさはない。父殺し(殺人)をするものの、とにかく苦悩し続ける。あがく、という言葉がぴったりなぐらいに。


良くも悪くも、「ああ、こういうのって文学にカテゴライズされるな」と思いながら読み進めた。一文の密度が高い。親殺し、成長、エディプスコンプレックスといった(文学的な)普遍テーマを扱う。社会問題とからめる。文学の文学たる所以は、個別具体的な登場人物の葛藤を通じることで普遍性を志向する姿勢にあると思う。横浜であった国際会議のために、黄金町はすっかり「浄化」されてしまった今となっては、『ゴールドラッシュ』の世界は、ちょっとしたファンタジーかもしれない。しかし、一時の黄金町の街から見えてくるものもある、と思わせる力はこの作品にはある。


全体として誉めている体だが、実はあまり面白くはなかった。こういう文体が苦手なのかもしれない。世界の名作文学だとツルっと読めるんだけどな…。