ゴミの生活(四代目)

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311の物語ではない、記憶の物語だ ――滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(新潮社)

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス


語り手、一平。バイクで東北地方を旅行中に転倒。そのまま記憶の旅にでる。高校時代に出会い卒業後に付き合うようになった美術教師。映画を撮る友人。一人旅で遭遇した人々。大学時代に好きだった女。壊したギター。そういった思い出が次々に想起される。つながっているようでつながっていない。細部が詳しいものもあれば、ぼんやりとしているものもある。というか、思い出される記憶というのは、覚えている記憶だけだ。覚えていない記憶は、原理的に思い出すことができない。


過去から跳ね返ってくるのは、私が作った過去ばかりで、そこにあったはずの私の知らないものたちは、過去に埋もれたままこちらに姿を見せない。思い出されるのは知っていることばかりで、思い出せば出すほど記憶は硬く小さくなっていく。


911から311へ。2000年代の記憶が主軸だ。筆者は82年生まれで、奇しくも私と同い年。ということで、本書を読みながら私も記憶の旅に出てしまった。911のテロは赤羽のバイト先で知り、そのままバイト先の上司と立ち飲み居酒屋へ流れ、テレビで情報を集めながら酒を飲んでいた。何かが始まるのだろう、その何かは分からないけれど、と感じたはず。その後、イラク戦争が始まった。311は仕事が休みの日だった。揺れを感じたのは王子の小劇場で、当然、芝居は中止になった。その時の家にはテレビはなくラジオで情報を集めていた。夜、気になった(恐くなった?)ので、赤羽まで行き、帰宅困難者で溢れる駅を通って、居酒屋のテレビを見ながら酒を飲んでいた。自衛隊のヘリが写した気仙沼は、燃えていた。


久しぶりに「純文学」を読んで、なんだこれ面白くねーな、と思った。普段、エンタメばかり読んでいるせいか、だらだら思考を垂れ流していたり、読者にストレスを与えたり、という仕組み(仕様)をしばらく忘れていた。あーあ、と思ったのだが、何度かぱらぱらと読み直してみると、むむむ、とそれなりに面白くなる。本作品は芥川賞にノミネートされていたが、落ちる。次回作で芥川賞を受賞。