ゴミの生活(四代目)

最近はアマプラをdigってます

ビデ倫法廷闘争の行方――藤木TDC『ニッポンAV最先端』(文春文庫)


しまったなー、文庫落ちだったか。本書は『アダルトビデオ最先端』(コアマガジン)2011年の、加筆訂正版。買って読んでいた。読み直しの常だが、読んでみないと思い出さないので、結果、それなりに楽しく読めた。藤木TDCはTBSラジオ『dig』のパーソナリティをやっていたときに聞いていて、この人おもしろいなーと思い、以来、本屋で著作を見つけたら買うことがある。


各章で扱っているもの。「BUKKAKE」「自立歩行バイブロボット」「シーメールふたなり」「辺境ナンパAV」「格闘技AV」「微乳」「シルバー女優・男優」、そして「ビデ倫裁判」。


藤木はメディアとしてのAVが誕生するあたりから業界雑誌でライターをやっていたようなので歴史的な記述が多く、本書に資料的価値を与えている。業界、市場、官憲、司法の動きが複雑に絡み合ったところにAVというアングラメディアが存在していることがよくわかる。例えば熟女モノAVがジャンルとして成立する背景には、ビデ倫によるモザイク強化の波がスカトロモノにおよび、結果、熟女とスカトロを二本柱としていたラディカル系AVメーカーが熟女一本に舵を切ったことがある。基本、性産業であり、後ろめたいものであるため、表の世界の動向が大きな影響を与えるのだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」は「変な論理」を指すこともあるが、AVの世界では「桶屋が儲かる」こともあるようだ。その間の変な論理を橋渡しするのは、業界に巣食う有象無象の連中たち、そして彼らの有り余る性欲と商売っ気なのだった。藤木はそこに日本人特有の創意工夫や勤勉さを見出す。


面白かったのは内戦下のユーゴスラビアでナンパAVを撮影しようと突撃した話。いちおうAVはできあがったようなのだが、その過程がまさにアングラ『電波少年』。『電波少年』でもいろんなギリギリがあったが、これはもう完全にアウトなロケ。


一番ためになった(?)のは文庫オリジナルの特別収録「なぜモザイクはなくならないのか」だ。この記述のためにこの本を買っても良いかも。ビデ倫の幹部がわいせつで逮捕・起訴、裁判にもなったが負けて有罪。なぜか? というかそもそもビデ倫って何?


日本は憲法表現の自由が認められている。だからAVにモザイクをつけることを「上から」指示することはできない。あくまで業界団体の「自主規制」という位置づけだ。その業界団体がビデ倫。「自主規制」とはあくまで建前で、その中身は警察OBの優良天下り先。警察OBを抱えている組織の「自主規制」だからわいせつ物として摘発しないようにという非公式のお約束を、業界団体は警察・検察と結ぶことができる。


長らくビデ倫は天下をとっていた。レンタル店でのAVはビデ倫の審査を通ったものしか流通していなかった。ところがレンタル店は、メーカー、問屋、レンタル店というサイクルで商品が回っていて、ユーザーの声が反映される回路がそもそもなかった。ユーザーの声を拾うことで急速に拡大したのが、セルビデオ(販売用AV)だった。セルビデオは後発メーカーでもあり、摘発覚悟でビデ倫に属さなかった。独自の販売網を作り、ビデ倫AVよりも「過激な」ものを販売した。客は自分たちのニーズを拾ってくれるそちらを、当然のように好む。


やがてセルビデオのメーカーも自主規制団体を立ち上げ、ビデ倫の審査を通っていなくても、摘発されるリスクは減った。ビデ倫は後発団体の脅威に対抗すべく、「あの作品のモザイクが薄い」と警察にせっせと垂れ込んでいた。…が薄いとはいえモザイクがあるので「公判を維持できない」ということで、そのタレコミは却下。じりじりと版図を狭められるビデ倫TSUTAYAも非ビデ倫作品をレンタル開始)。そんな折、ビデ倫は自分たちの規制基準を緩めることに。規制を緩和し、後発メーカーに負けない「過激な作品」をと言うことなのだが、結果、どうなったのか。


ビデ倫の幹部が逮捕されたのだ。ビデ倫のしたことは、自分たちがせっせと守らせようとしてきた基準を、自分たちから緩める、というものだ。そうは問屋は許さない。ビデ倫という組織は解体、後発団体に吸収される。


ビデ倫幹部を逮捕した個別のAV作品は、裁判中も普通に流通していた。他のAVと違いはない。「普通の」AVだ。それでも「わいせつ物」と裁判では認定され、有罪の根拠となる。「わいせつ性」が高度なまでに法的な構築物であることが、よくわかる事例。こういう事例を知ると、法律って面白いな、と思う(違うか…)。