ゴミの生活(四代目)

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第二次世界大戦の日本軍の戦死者は、半数以上が餓死 ――飯田進『地獄の日本兵』(新潮新書)

地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書)

地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書)


(691文字)

筆者が従軍し、体験した、地獄のニューギニア戦線。生々しい。戦力の逐次投入。補給線なし。食料も最低限の携帯で現地調達。貧弱な装備。勝てるわけがない。歩けるところは敵に占領され、道なき道を飢えと病と闘いながら歩く。もちろん、大半が死んでしまう。ひどいひどいとは聞いていたが、ほんとうにひどい。

あとがきの筆者の言葉。

戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
「あなたがたの尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえてくるようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなってしまいました。
なぜあれだけおびただしい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を絶たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されなければならなかったのです。兵士たちはアメリカをはじめとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。
その大本営の参謀たちは、戦後どのような責任をとったのでしょうか。(…略)


今の日本の政治体制(自衛隊含む)は、実は戦前と地続きである。政治家や軍人は、続いている。反省があればまだましだ。反省はあったのだろうか? 戦前と戦後の連続性が、かつてないほどに強調される今だからこそ、読んでおきたい。