なんで彼らはいつもスプーンを曲げるのだろう? 森達也『オカルト』(角川書店) 


『職業欄はエスパー』の続編。森達也は、彼のドキュメンタリーも見ているし、著作も何冊も読んでいる。その中で『職業欄はスパー』が最初に読んだ本で、今でも一番好きだ。続編ということで手にとって見た。おなじみの超能力者・清田君に、秋山眞人、ダウザー、恐山のイタコ、UFO研究家、心霊・超能力番組の制作プロデューサーなどに森が直撃取材をしている。



超能力、あるいは心霊現象について、森の立場は「あるかもしれない、ないかもしれない」だ。長く取材をしていると「そうかもしれない」という不思議な事例には出会う。見よう見よう、なんとか明らかにしようと思えば思うほど、ひゅっと隠れてしまうものが、この世の中にはあることも体感的に知っている(本書のサブタイトルは「隠れるモノ、隠されるモノ、見たいモノ」)。かといって超能力は「ある」と断言できるかというと、そんなことはない。箱の中に何か入っているのは分かるけれど、箱を開けるといつもなくなってしまう(あるいは箱を壊さずにあけられない)ので、いつももどかしい。そんな状態。取材だけではなくその前後の様子、楽屋的なものも含めて森は饒舌に語るが、その饒舌さを促すのは彼の「迷い」だ。



いちおう、理論的にも説明しようとする。曰く、古典物理学と現代物理学では世界観が異なる。量子論等を援用すれば、現象が確率的に起こることにも説明はできる。しかしスプーン曲げなどの超能力現象は、果たして現代物理学のスケールで説明してしまってよいのだろうか、と彼はためらう。ここにも「迷い」が生じている。



一読したあと、ネットに落ちている動画をいくつか漁ってみた。まずは清田君。それに秋山が出ているTVタックル。あと、メンタリストDaigoのフォーク曲げ。TVタックルでは、ものすごく器用にスプーンを曲げる超能力者が出演していた。ナポレオンズも「我々にはできない」と。でも否定派・大槻教授が懐から取り出した南京錠は曲げることができないと拒否(イメージができない、といって)。同じようにメンタリストDaigoもフォークをぐにゃぐにゃにまげる。彼は超能力とは決して言わない。錯覚と最小限の力でできる、とはっきりいう。



何かよくわからないものは、あるのだろう。また、あったほうが楽しいだろう、とは思う。でもそれはスプーン曲げではない気がする。スプーン曲げは、あまりにも手品的だ。超能力者がすることなんだろうか? なんかもっとすごいものを見てみたい、と思ったのであった。